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定州周辺Ⅱ

定州邑は平安北道種苗場、農事試験場、など農業指導に明治41年に農商工部所管寧辺試験場から転進し規模を大きくしていった。地勢風土の関係から農業技術面でも、勧業模範場などの試験成績を応用出来ない。農事奨励施設の根本的方針を決める。定州の采果は明治44年頃から栽植され
経営者も年々増え作付け反数も増大して行った。
加納忠男騎兵中尉以下7名の忠魂碑の30m西に聖跡碑がある。これは李朝太祖の戦功記念碑で、高麗朝末期に崔禹生が反逆を企て元朝通じ、その勢力は一時期王朝を覆さん程の強力であった。
李生桂は直将としてこの地に至り、瞬く間にその徒党を討伐したと伝えられる。と(碑文に刻まれてあった)。郭山は義州街道に沿う一部落であったが大正3年定州郡に併合され西南方向は平地で海に
連なり、郭山平野となって一望二千町歩の広大な田である。

現北朝鮮の状況では定州市に昇格、人民軍第8軍と、郭山地区には空軍基地が衛星写真で見える
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