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回顧

私の通った旧制中学校は当時、日本の植民地であった朝鮮
は西北部、平安北道の道庁所在地にあった小さな中学校で
学年のクラスは一学級、55名のうち一割が朝鮮人学徒で、
我々のクラスにはそのほかに満州人子弟が一名いた。

五年制の旧制中学校だから全校生徒は300名足らずの全国
一小さな中学校と言われた。
しかし、校舎は二階建ての総煉瓦造りで、壁には蔦がはって
いて、校門の入り口にはヤンバン朝鮮人父兄の寄付による、
「奉安殿」前の玉砂利の上で必ず脱帽、最敬礼をしなくてはな
らない規則があった。

五学年だから、教室も5教室あって、他に職員室、校長室、事
務室、理科実験室、の他に校舎の西に武道室兼講堂があり
間にボイラー室と小使い室が校舎と講堂を繋いであったと記
憶している。

校舎の西側に運動場があって、塀の先は府営住宅が30件ほ
ど並び、その又先には、「肉饅頭」「ポウズ」を売っていた支那
人の軒先の低い家があった。部活の合間におなかがすくとそ
こへ、「パウズ」を良く買いに行ったものだ。今思い出すと下宿
の食事では足りなかったのだ。一時寄宿舎にも入寮したがも
っと事の量が少なかったと思い出す。

この町は朝鮮と満州の国境で日本で一番大きな川「鴨緑江」
が流れている。今では北朝鮮と中国遼寧省の境となって密貿
易も盛んなようである。私が住んでいた頃も朝鮮人、満州人に
加えて日本人も密輸をやっていたように思う。
例えば、満州側に行けば一時間の時差があって、こちらの町
よりは少し大きな安東市があり、ロシヤ風な物品が多かった。
満鉄経営の垢抜けた風習はエキゾチックな魅力があって、学
校でも無断で鴨緑江を渡って行く事は禁じられていた。だから
こそ禁断を破り密かな行動をとることがスリルが」あって愉快
であった。

夏はプロペラ船や人力車、豆タク、或いは徒歩で鉄橋を渡る
のが楽しくて殆どの日曜日には「ピロシキ」を食べに「ビクトリ
ヤ」に行ったことを思い出し、1990年代に何回も丹東市に行
っては向い側の新義州市を望見してくる。思いが募って、とう
とう1992年と95年にこの鴨緑江鉄橋を渡って北朝鮮に中
学同窓会の同窓会会員を集めては入国したことは我ながら
良くやったものと感動している

さて、中学生時代を回顧すると、若気の至りと思い出せば顔
に汗掻くことが多い。二年生の二学期12月8日、寄宿舎の
朝礼で舎監から、米英と戦争に入った旨聞かされた。それか
らと言うものは、軍事教練、夏休みの勤労奉仕10日間が督
励された夏休みは朝鮮の学校では短いので。早くから帰省し
て作業をサボったものだ。平壌と新義州の中間点にある「定
州邑」と言う町が私の生地であった。人口一万の内日本人は
千二百人位であったろう。中学校も、女学校も無かった日本人
子弟の進学は道庁のある「新義州府」「同じ距離の平壌府、
或いは満州の安東市が日本人子弟の行く先であった。中学校
高等女学校、商業学校と工業学校、師範学校が中等学校で
あったのだ、職業学校は日朝半々の入学を許された。中学校
は上記の通り5%の朝鮮人子弟は入学試験の合格率が厳し
い難関を通り越して入学を許されるので成績が優秀であった。

中東学校の軍事訓練では、平安神社参拝があっったが一部
の朝鮮人子弟の中では参拝を拒否するものもいたが、学校側
では黙認された。これは軍事強制のこの時代寛容なことであ
った。
もっとも、朝鮮人の中には、日本の併合を嫌い、独立運動を地
下で動いている者も多く、警察の目をくぐり、身の危険を察知
すると「キリスト教会」に逃げ込むことが身の安全を確保する
手段であった。定州の町には教会は一つか二つあったようだ
が宣川は数多くのチャーチがあって、宣川邑は朝鮮人の独立
運動の巣だと言われた。チャーチに逃げ込めば官憲の追手の
及ばない所として一種の治外法権的な場所であったのだ。

もっとも朝鮮人全てが拒否したわけではなかったが、キリスト
教の多い朝鮮人家庭では神道は受け付けられなかったので
あろう

昭和15年~19年頃の、中学校の月謝は、7円前後、下宿
代は足そう幅があるが15円~22,3円暗いと記憶する。
毎月の小使いは家庭によって違うが、綿脚の場合は3円~5
円であった。しかし小使いが心細くなると土曜日帰省して大
叔母に無心して5円から10円を貰うことが多かった。両親に
は内緒で!

三年生の頃、幼年学校と甲種飛行予科練に行った先輩が
母校に帰って来て「我に続け!」と行動で講演したことがあ
った。四年生終了の頃、20人ほどの級友がこぞって甲種
飛行予科練の受験に「鎮海」の海軍基地に行った。2日間
の受験の後、三浪津で列車を乗り換え京城で一泊、帰校
したことを思い出す。

昭和19年4月、鹿児島は垂水航空隊に入隊の知らせが来た

 








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