スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

一周忌法要

家内が先立って早くも一年の月日が経った。去年の2月
24日(日)朝孫娘の中学校制服を新調に付き合おうと
言っていたが、寝室の掃除を始めて、ベッドメイクが大変
なので、下で休んでいたらと私自身でシーツをしていたら
階段の塵を掃きだし、一番下のところで座り込んでいた。
急いで家内のそばに行くと、手を上に上げ、「手摺が無い
」と小さな声でぼそぼそと口ごもっていた。
様子が可笑しいと気が付き、彼女の頭を抱えるとそのまま
横たわって目を閉じだした。抱えると重く感じ、前にもこの
ような「脳梗塞」で倒れたことがあったので、静かに寝かせ
て電話のところへ行き、「119番」に通報した。

まもなく救急車が家の前に止まり、隊員が声をかけながら
救急車に収容、電話で救急病院に連絡していたが、2,3
の病院にかけていたが、田無のS病院に行くことになりま
すと言うので「T脳外科」はどうですかと聞くとあそこは受け
られないと言っていますとのことだった。
サイレンを鳴らし私も同乗し、何か一時間位も時間が経った
ような思いであった。

病院に着くとそのまま「CR」に入れられた。暫く待っていると
担当の医者が私と長女、次女、三女を呼び、脳の中全般に
出血が酷く、真っ白になっていますから、とても回復は無理
でしょうと告げられた。仮に命が助かっても植物人間です。
それから応急手当の緊急ベッドがある集中治療室に約2週
間ほどの後、入院室のベッドに変えられて、完全看護の状
態に入ってしまった。毎日午後一時頃から電車、バスを乗
り換え一時間かかる距離の病院と家の間を通った。

もう意識の無い家内に毎日声をかけ、諦めの気持ちで58日
間の末、4月21日午前3時23分静かに息を引き取り、当直
の医者から、「臨終です」と告げられたときは涙が出て悲しい
気持ちで一杯になった。

午前中に遺体を家に運び、一階の畳の部屋に北枕で寝かせ
て、娘達が葬儀会社に連絡の電話をいれ葬式準備にかかっ
たが、何をどうすれば良いか無意夢中であった。

お通夜は24日夕方6時、告別式は翌25日午前11時、練馬
H.T会館と決まった。

24日午後遺体を会館に葬儀社が運び、午後6時からお通夜
に入り、葬儀社の社員の誘導で参席者が多数来られ静かな
式が出来た.
家内の兄弟、兄弟、娘達家族、中学時代の先輩も二人参席
され感謝で一杯だった。娘の勤め先の方々も多数焼香に出
席され静かに通夜は終了。

25日午前11時から告別式にも多くの出席舎を迎え、谷原の
「S寺」の住職にお経をお願いし、中野の葬儀場で荼毘の弔い
を完了、遺骨を家に安置した。

昭和28年4月5日、結婚の入籍届けを確か北区区役所にて
55年間の共に苦労し二人で生活を設計し、共に泣き、共に
喜び、三人の娘達を大学に進学させ、家庭を持たせて、孫も
5人と増えた。良きパートナーであった。
しかし先立たれて見ると、あれもこれもと後悔が残る。この2、
3年は高齢による身体が一層不自由となったことは残念だ。
常に車で行動を共にし、死ぬ前年は「沖縄旅行」を簡保旅行
で行ったことは本人も満足であった。加えて町内会長野旅行
スーパーの山梨ぶどう狩りなど温泉周りも楽しかった。

なんといっても、平成6年から12年にかけての世界旅行は
20数度に及び、その都度、出発が決まると、家内は嬉しさ
で興奮冷めやらぬと言う状態に陥った。英会話の出来ること
が外国旅行を一層楽しくさせたものだと思う。
昭和52年にはアメリカ東部旅行(ニューヨーク、マイアミなど)
それから十年ほど家業が忙しくなり、次に旅行を始めたのは
平成6年一月であった。先ずはカナダ(トロント、ナイヤガラ、
ケベックと帰りは天候の都合でアラスカ周り)となった。次いで
韓国、中国(天安門事件の頃)夫々7,8回は旅行した。
ヨーロッパは家内の大好きな旅行であった(スイス、ベルギー
英国、フランス2回、ドイツ2回、チェコ、ハンガリー、オーストリ
アなどは旧制中学校時代の級友夫妻2組、ニュージランド、
タイ、オーストラリヤ、航空路は何時も成田空港からロシヤ
領土上空を12時間くらいかけて飛行していた。飛行機の窓
からロシヤ地上を見ているのもすごく楽しかった。

九十九里浜から成田空港に着陸は常に興奮するものだ

最後の海外旅行は南ドイツでライン川の流れを叔母さん団体
が一斉に「ローレライ」を歌っていたのが印象的であった。皆
さんはきっと女学生に戻った気分だったろうと思う。ノイシュバ
ンシュタイン城もロマンを覚えさせる観光地だった。

家内を楽しませてあげられたのは一緒に世界旅行をしたこと
と思う。世界一周クルーズを企画したが家内はあまり興味を
持たなかったので機会を逸してしまった。残念であった!

この日の出席者は
長女家族4人、次女、三女家族3人、亡妻の姉、兄、と長女、
妹、弟の嫁、計14名であった。次女の義父より5,000-







添い
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。