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韓国旅行

戦後は日本の国情も経済的事情が悪かったが昭和25年、
(イ945)朝鮮戦争の特需景気で飛躍的に生活が良くなり
焼け跡のバラックも段々と整理されて行ったようだった。
それでも海外旅行は高値の花で、当時は映画で見るハワイ
やアメリカの社会が夢のように目に写ったものだった。

始めて戦後の韓国に行くようになったのは、戦前の朝鮮の
中学校同総会を「ソウル」で開催することになったからだ。
北朝鮮から韓国に越南した韓国人同級生は一人いた。
先輩や後輩も同総会名簿には何人かいた。
丁度その時は韓国から雑貨を輸入していたこともあって、
韓国の友人に会いたいと思い日韓同総会に出席することに
した。

ソウルの宿舎は新羅ホテルであった。会場は勧告の政財界
の主要な人々が利用すると言う郊外の有名なキーセン料亭
にやく0人ほどが集まった。
韓国の有名小説家、陸軍予備役大将、など韓国の同窓生は
皆日本語が達者である。韓国に来ても言葉には不自由しない

仕事があるので滞在二日で家に戻ったが、後日はそれに慣れ
個人で行ったり、業者を同行したりで10数回渡韓したものだ。

当時はまだ勧告の製品は物足りないものであったが、後輩の
元戦車予備役少将が実に良く面倒を見てくれたので感謝する

彼が来日したときには、十分世話したものである。
そあひて日本での同総会には必ず来日の上出席している。

ソウル以外の都市にはあまり縁が薄かったのでこれから他の
都市にも行って見たい。又行く予定である。
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