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海外旅行

あくせく働いて来たが、学歴コンプレックスで、これと
言う確実な仕事をとうとう50歳過ぎても得ることは
出来なかった。
昭和55年、念願の貿易実務を独立で立ち上げて見た
ものの、もともとその経験もノウハウも素人で貧しさは
益々どん底になっていったが始めた輸入品が高速道路
の売店で扱ってくれると契約が取れた。それから次々と
高速道路のサ^ビスエーリヤやパーキングエリヤからも
輸入した商品を月極めで納入出来ることになって、肩上
りに営業額が上がっ行った。昭和63年には台湾、韓国
中国からも輸入が始まり、主に雑貨であったが韓国に
仕入れに行けるようになった。もともと、朝鮮で生れ育っ
た関係でソウルには中学時代のクラスメート、下級にいた
予備役軍人も喜んで商社を世話してくれたので助かった

ソウルには都合20回ほど商用で、次いで、中国遼寧省
は丹東市(新義州の対岸)には昔、我が家で働いていた
中国人(77歳)がいることが判り、残留孤児の家族との
保証人関係で、北京経由で行くことにした。
更に旧安東会の旅行会にも参加して、丹東市友好公司
に顔を知られて、新義州旅行のバックアップを頼んだ次第
となった。
丹東市には亡妻も一度連れて行き、鴨緑江周遊船で対岸
の新義州岸近くまで寄せたものだ。

それから次第に北朝鮮に渡航する手立てを準備、北朝鮮
系の旅行会社の手続きで「新義州訪問旅行」を1992年
9月、中学校同窓会の有志30名を連れて実行に移した。

当時はまだ北朝鮮に入国できることは考えられなかったが
朝鮮観光総局、朝鮮国際旅行社、挑戦国際航空などの幹
部の人も我が家を訪ねてきた。
平成7年(1995年)再度40名の有志と北朝鮮旅行を試み
た時は、一行から分かれて、更に一週間日程を延ばし元山
金剛山、新義州と陸路、朝鮮国際旅行社の提供する車(い
すずバン)で駆け回った。

平成4年以来、家内の希望でまずは、「フランス」4泊5日の
旅行会に加わり楽しんできたが、ヨーロッパの旅に中毒して
平成8年まで多いときは年3回の海外旅行を何時も二人で
思い出を作ったものである。

カナダはナイヤガラ、ドイツではライン川周遊、中東3カ国も
良い思い出となった。その点、北欧(スエーデン、フインラン
ド、パリ)の旅は、ロンドン旅行とあまり楽しくは無かった。

平成7年のカナダ(ナイヤガラ、ケベック)の時は1$79円
の通貨価値で何でも安く感じた旅行であった。このときは
旧友夫妻二組と8人での旅行となりこんなに楽しい旅行
は二度と無かった。

亡き家内とは、国内旅行も大いに楽しみ、北海道、仙台
伊勢神宮、小豆島、長野、能登半島、九州一週、沖縄
大阪、京都、他殆どが60歳台の元気な頃だった。

平成19年は伊豆の温泉で従兄弟会を開催、
今年は京都西本願寺に行く予定である。


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