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東京での生活

戦後の日本は、敗戦から立ち直った30年代であると思う。
しかし私は同年代の人々から遅蒔きだったので、一つ違い
の嫁さんはさぞ苦労したと昨年先に旅立った女房には感謝
してもしきれない気持ちでいる。

三人の娘たちには、家内と共に大学教育を受けさてたが、
50歳代までの働きがあまり良くなかったので悪かったなぁ
と恥入っている。

昭和30年に進駐軍の仕事も、大方無くなって、日本の
民間や官公署などのほうが安定した職業になりつつあって
次第に世の中が朝鮮戦争以来景気もよくなって来た。
大型自動車免許証も取得して、自動車の営業が身に合う
と思い国際興業㈱田町営業所の所属で営業をすることに
なった。
この自動車販売はアメリカのクライスラー系のクライスラー
(高級車)、などと、英国の「ヒルマン」小型車などの販売
代理店なので、夢中で客探しやアフターサービスに心掛け
たものだ。ダッジ、プリムスなどのクライスラー社の外国車
は配給制でタクシー、ハイヤー会社が割り当てで買うことが
出来た。月賦(ローン)で買うことが出来ますと言うとびっくり
まだ当時はローン制度が始まったばかりだった。

クライスラー6,000ccの高級車が外国人に一年に一台が
買える制度があって、ある台湾人が新車を売りにもってきた
それを、ある光学会社の社長宅に夜遅く売り込みに行った
ことがある。「君は熱心だから買おう」と翌日会社の計理部
に行き現金で買ってもらうことに決まった。現金800万円は
当時としたら莫大な金額であった。現金払いなのでもう一台
の車が護衛で付き添ってくれたことを機能のように思い出す

ある日望遠鏡製作会社の車買い替えで、下取りをした車を
売れた時にお金を持ってきても良いよとのことで、下取りの
車を神田の会社に現金で売買することを約束し、名義を変
えて納車に行ったところ、現金が無いからと土地不動産の
権利書を渡された。それは横須賀の50坪の権利書であっ
た約束が違うでは無いかと詰め寄ったら、何人かのグルー
プは逃げるようにいなくなった。詐欺にあったと警視庁に駆
け込んだ、だが警視庁では詐欺にあたらないと言われ、泣
く泣くその権利書の土地を現金化しなくてはならないので、
家族(家内と二人の幼子)をつれて、空き家にしていると
家屋が廃れるので、転住することにして、近所に買ってくれ
と触れ回った。米屋さんが50万円で買ってくれることにな
った。
考えて見れば、お金があれば、値がよくなった時に売れば
良いものを、早く現金を信頼してくれた委託してくれた会社
に返金しなくてはならないので、売り急いだのだった。

当時50坪当たり一万円の50万円だったが、今では5000
万円以上になるだろう。商売はお金がお金を呼ぶのだと言う
ことが身に沁みたが若かったのでそれからが苦労の連続。

たびたびのセールスで騙されに、営業する物を変えて見よう
と思い、次はアメリカの百科事典30巻のセット販売に身を投
じた。

それは昭和38年のことであった。私の家族も家内に三人の
幼い女の子たちで、東京都住宅供給公社の一室に住んでい
た頃であった。
英語の百科事典の販売ならば、当然、大学や、高等学校の
図書館に売り込みに行けばいいのだと思い、地図を見ながら
東京の学校に売り込みに歩いた。しかし直ぐには返事を貰え
ない。殆どが色好い返事で、何週間も売れなかったが、或る
日思いもかけずある高等学校から納品の手続きに来いと電話
があった。続いて東大の英語科の図書室からも購入希望の
電話が続いた。しかしそれ以上は続かなかった。我々の支部
長は毎日数セットの契約を取ってくる。疑問があったので、付
いて行くことにしたら、大学病院に入って行った。医者に売っ
ていたのだ。医者と同格の職業の人に見せて回れば良いの
だと気が付いた。それから毎日あらゆる会社の研究室を回る
ことにした。

功を奏して、成績が抜群、支部長と共に東北、北海道の支部
に配属となった。家族を連れて地方のテリトリーに変わる事と
なった子供たちの小学校も転校させ住宅公団にも入居出来た






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