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熊本時代

昭和20年(1945)8月15日、終戦、朝鮮にいる
家族が、日本に引き揚げてくる時に連絡が取れる
熊本の親戚に二ヶ月ほど、お世話になり、玉名郡
の長洲町の製塩会社に働くことになった。当時は
食料の無い頃であったが、特に塩は米一升に対し
倍の価値の五合であったと思う。その塩を親戚の
家にお土産に持って行く大変喜ばれた。

その内に、この製塩会社の経営者の大風呂敷が
判るにつれて、より大きな会社に働きたいと思うよ
うになり、宮崎にある、旭化学のレーヨン工場に、
職を変えたのは半年位経ってからだった。
レーヨン部のある課長が、佐伯に新会社を創設sる
が、来ないかとの誘いがあったが、おりしも朝鮮か
ら家族が引き揚げて来たので、家族ととの生活で
新しい目的を築くため、丁重にお断りした。

熊本市の生活では、父親が大学進学を強く希望し
ていたので、私立の英語専門学校に入学すること
になった。製塩会社の同僚、Aを誘い、共に入学。

アルバイトをしなければ学費も稼げない状態の毎日
の生活であった。


昭和25年、思い切って東京の大学に行きたいと、
決心し、結婚して東京にいる姉を頼り、上京をしたの
が、4月だった。姉の家にも厄介になれず、英会話の
勉強が出来る米第五空軍の月島キャンプで働きなが
ら、六大学のどれかに入学出来たらと思ったが、生活
に追われと言うよりも生活費に窮して進学の希望は断
たれたと勝手に考えたのだ。

結局、熊本には落ち着かない生活ばかりが思い出され
あまり強い印象は残っていない。昭和20年8月~一時
六ヶ月ほど延岡に居を移したが、昭和25年の3月には
上京で4年半ほどの短い期間だけであった。




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