スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

統治下の朝鮮総督府税関

新義州税関
上記の画像は北朝鮮の中国との国境の町「新義州市にある税関建物」である。
ロシヤ風のこの建物は、この地区に、日清戦争の前後にラシヤが李朝の高宗との間で鴨
緑江上流の伐採権を勝ち取った後、河口の龍岸浦にロシヤ人の基地が出来たのだった。
冬の酷寒に備えて弐本の問い内時代に建築した建物はロシヤ風にレンガ造り多い。
この国境の税関(二棟)のほか平安北道道庁、新義州府府庁、ほかに多くの学校、病院、
警察署、公会堂、消防署など現在も残っていた。(1992、’95の新義州訪問の際
見てきた)

北朝鮮の殆どの地域は朝鮮戦争の折、戦場となり多くの建物が破壊されて、他の都市では
殆ど昔の面影は無い。それに比較して「新義州」の町は米軍の爆撃はあったものの、他の
都市のように地上戦場とはならなかったたらしい。

国境を跨ぐ鴨緑江鉄橋は、1911年に開閉橋の附いた鉄橋が完成したが、1944年に
第二鉄橋して第一鉄橋の少し上流に完成したのは私が中学校四年生の時であった。

国境の税関は鴨緑江を両岸に夫々朝鮮川の税関と清国(チンコウ)満州国建国からは満州
側に税関がけられて、朝鮮側は朝鮮総督府の管轄であったと思う。海軍の士官制服と同じ
く短剣を腰に下げていた。河口からは「龍岸浦」「義州」「慈城」「碧道」「公昌」「満
浦」「中江鎮」などの主たる町には税関支所があった。「新義州税関」でも鉄橋の際にも
あったのは記憶に無いが今回北朝鮮入境のにはここの税関を通関したことを思い出す。

この税関検査でエックス線でトランクの中に「ピストル」らしい物があるので開けろと言
われ、私が会いの下開けると、中から西安のお土産用「兵馬庸」であったので係の税関員
も大笑いであった。

昔は対岸の安東市にも船着場と駅には新義州税関の出張馬があったそうだ。
子供の通関には極めて緩やかであった所為かよく大人に洋酒、トランプ、砂糖、外国煙草
などを所持していてもとがめられることは無かった。
国境と言えば必ず密輸は憑き物で密輸で儲けた人も何人か知っている。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。