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セブ島生活

ルビリゾート サンタンダー
セブ島はフイリッピンの中央部にあって、ビサヤとも言われるフイリッピン第二の都市セブ市(人口75万人)ほどの大都会である。近接する都市の人口をあわせるとその倍の150万人位と思われる。
セブ市には多くのマーケット、市場、世界各国の料理店、日本、韓国、中国、フイリッピン、マレーシア、インド、ヴェトナム、勿論欧州系の料理店も多い。

私達の旧制中学校は戦前の朝鮮西北部にあった日本一小さな学校であった。というのは学年一クラスの55人で朝鮮人の子弟が一割の5人程度が机を並べた。朝鮮人の子弟の場合はヤンバンの(金持ち)家庭の子弟が選ばれて入学できたそうだ。私が入学した時代は日本はもう戦争ムードで、学校教練が厳しかった。大東亜戦争が勃発、学生は軍事教練に明け暮れたものだ!幼年学校や海軍飛行予科練習生に行かれた先輩が「俺に続け」と志願の督励に講堂でアジッていた

私達は知らなかったがもう戦争は負け戦であったが志願できない者はアンチ国民というレッテルを貼られたくない為に陸軍や海軍の少年兵を志したのだった。それも少年として又良い経験をしたとも思っている。
戦後は祖国に引き揚げた家族と共に生活安定のためにいろいろ一生懸命に働いたものだった。

そして生活が幾分落着いた頃、旧中学校の同窓会が始まり今まで全国に散らばっていたクラスメートが人伝に聞き集ってきたものだった。
そして戦後は65年も経ち、同窓生の殆どは子や孫に囲まれ我々中学校同窓会の採集卒業生も喜寿を迎える年齢になっている。
先輩は私の住む近くに住んでおられる。3年前奥様を亡くされ、二人娘さんのうち上の方ご夫婦が「セブ島」で事業を始められた。長女の娘さんは暫くの間父親の先輩wp看ておられたが、地方公務員を退職されてご主人の事業を手助けのため父親を説得して「セブ島」に連れて行かれたのだ。行く前に先輩はどんな所か分からないが良かったら、知らせるから君も来ないかとおっしゃれていたが、「セブ島」から手紙で誘いがあった。
何回か先輩はセブ島と東京の間を行ったり来たりで同窓会や納税申告の時期になると帰国されていたが、それも高齢の為かもうセブ島に腰を据えるとおっしゃられて余生を充分に楽しんでおられる。

セブ市には定年後年金で暮らせると多くの定年退職者が永住している。先輩の誘いで一月と五月の二回、セブ島に行ってきたが、気温は良いし、物価は安いし何といっても住民の優しい国民性と英語の通じるところが住みやすい環境を味わせられる。そして住民の殆どがキリスト教信仰者だ。

セブ島の周りには「ボホール」「レイテ」のほか大小の島々が無数にあり、世界の国々から多くの人々がダイビングスポーツの為リゾートにやって来る。島々は常に暖かいしエメラルドの海は澄んでいて、一日だけだったが私も小船に乗って小さな島「スミロン島」でスノーケルをつけて潜ってきた。慣れればボンベを付けてダイビングを楽しみたいと思っている。

先輩の家は「マンダウエー市」にアメリカ風の二階にはベッドルームが4部屋(どの部屋にもバストイレ付き
現地人の運転手とメイドさんを雇い、出かける時は運転手の運転で何処でも行くそうだ。交通手段の少ないこの地ではこの方法が一番安心できる。セブ市には「アヤラ」「SMマート」と言う大きなデパート看たいな建物の店がある。そして「カジノ」もあって多くの外国人がプレイを楽しんでいた。
物価は日本人にとって驚くほど安価である。マクタン島には国際空港があり成田空港から直行便が毎日運行している

8月には三回目のセブ島旅行を予定している。来年の2月には厚労省の戦没者慰霊巡拝にマニラに行くことにしている
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