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先輩の海外長期滞在

セブ島
90歳になる同窓会元会長がセブ島に去年の6月から滞在
している。上の娘さん夫婦がセブ島で日本人スキュウバー
ダイビングのインストラクターで民宿を兼ねて4,5年前
からセブ島でご主人の方が勤め先を退職してこの仕事に
入ったそうだ。娘さんは保育園の園長だったが定年を前に
辞められて、ご主人の経営するダイビングスクール兼民宿
の手伝いをする為父上の一人住まいを心配されてセブ島に
一軒家を借り、其処に父親を看ながらご主人の仕事を補助
されて、先輩が日本に時折帰国する際は付き添いで帰られ
る親孝行な方である。

そのことを三人の我が娘達に常々話をしていたら、長女が
正月セブ島行きの航空券をプレゼントしてくれた。
80歳を超えて足元がおぼつかないから私が一緒に行くと
言ってくれている。ありがたい話だ!

先輩は家の近くに住み、時々同窓会のことや昔の話などを
フアミレスで逢っては一緒にお茶や食事をともにしながら
時間を持つことが屡である。彼も私も続いて連れ添いを、
一昨年、去年と亡くしたばかりの同病相哀れみの仲である
(一寸表現が悪いが・・・)

一応三泊四日のセブ島旅行を試み、良かったら一人でも、
いける良いうにしたいと思っているのだ。

フイリッピンと言えば、戦時中、我が日本軍がアメリカ軍を
追出しあのマッカサー元帥が「I shall retarn」と言った事
は有名である。又マルコス大統領がエメルダ夫人と民衆から
国外に追出され、失望の挙句アメリカで死亡した経緯がある

フイリッピン国の中央に当たる位置で多数の島々かの中心に
その「セブ島」はある。
最近は日本人のダイバーが多くこのリゾートを訪れる。
さてどんな国か、初めて行く道の国だが、旅行先の案内の本
では自由な国でで気候は良く、物価は安いと聞く。

さて娘(長女)の旅行プレゼントで行くことになったが、先
輩からも待ち焦がれているとのメールも入っている。
さぞさび賀って居ることだろう。

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年賀状

家内が死んで1年と10ヶ月過ぎた。速いもので今年は、
年賀状を出すことにした。去年の暮に何時もは印刷家に
頼んで作ったが、今年は女房の喪中ハガキ後のことで、
多分整理しなければならないこともあるだろうと思って
印刷やをやめて、パソコンで作ることにした。

パソコンで作るのは小数のはがきを分けてデザインが
出来る利点がある。三種類のデザインを決め、親戚、
友人関係は「今年の寅」をソフトから取ってみた。

同窓関係の年賀状は「新義州の鴨緑江の鉄橋」を写真
から利用してみた。
もう一つは「定州の現在の駅舎」を小学校の同級生宛
にと取り入れた。

いずれも何とか出来栄えが良く我ながら自負している

安の丈、受け取った者から幾つかの反応があって、写
真を見て、北朝鮮に行って見たいと言って来た。

HISの旅行ツアーで「セブ島ツアー」の格安があり、娘
から若し行けるなら予約しても良いよと言ってきたので
思い切っていくことにした。
3泊4日の旅程である。
すると早速「セブ島」にいる先輩から朝方電話が入った
3,4日に限らず何日でも借りた家の部屋が空いている
ので着てくださいと続けて三回も連絡が入った。
90歳先輩は娘さん夫婦が日本人アクアスポーツでセブ
島を訪れる人のために「民宿」をけいえいしているので
一昨年奥さんを亡くし、それならばと言うことで娘さん
がセブ島に家を借り手6月から永住始めた。
何時も同窓会の誰でも来て話し相手がいなくて寂しいと
言っていたが、セブ島は住民の対日感情はとても良いと
言われている。
始めのうちは外国郵便は三週間もかかるので、不便だった
がメール通信で非常に速くなった。

さて、毎年年賀状を出す所は、先ず子供達とその家族の者
、親戚、小学校、中学校の同級生、友人、知人達である。
元旦の朝ポストに入っている年賀状の名前を見ながら夫々
の人たちの消息が分かる、毎年来ている者の年賀状が無い
場合は病気になっているのかな、家庭に不幸があったのか
なぁと推測する。今年は去年亡妻の喪中ハガキを出したの
で、何人かは切れるだろうかなとも思う。
5,6日の後まで遅れて悪かったとの一筆を書いてくれる
人も,梨のつぶての人もいる。

人間様々で几帳面な人も、大らかな人も、「男もいろいろ」
「女もいろいろ」島倉千代子の歌ではないが世の中様々だ
80歳を過ぎた今日までいろんな人に逢って来た、人間は
一人では生きてはいけないものだ。人にお世話になり世話
をしたりで持ちつ持たれつの関係で生きていける。

年賀状はお互いの「一年の始めの挨拶である」と思えば、
元日の朝に届くように心掛けねばならないと思う。
間もなく高齢でかくことも出来なくなるのでは無いかと、
おもう。書き続けたい!

平成22年正月(西暦2010年)

平成22年の元旦、とうとう満81歳と9ヶ月となった。
速いもので家内の死亡した日から20ヶ月が経った。

家内が元気な時は、正月の「おせち」など心配はしなか
ったが、一人になって何事も出来ないことがわかった。
出来合いの物を少しばかり買ってきて、ひとりで
「おせち」でも食べて、あまり飲めないので「恵比寿」
缶ビールを二ダースで「一人居の 考えることもなき 
三が日」漱石、」を決め込んで心がまえをしていた。

元旦、恵比寿缶ビールとおせちで朝から一人祝いをして
いたら、午後1時頃から長女夫婦と孫娘(25歳)、次
女夫婦と一人息子(小六)に、上階に住む三女と2人孫
娘(中二、小五)計10人が集まった。

三人の娘は近くの「お寺のお墓」に花を持ってお参りに

予てから熊本の墓を、多摩霊園に父親が改葬していたが、
それも家から遠いと言うので家内が亡くなった機会に、
娘達が近くのお墓にと言うことで、歩いても行ける距離の
所にある「浄土真宗本願寺派」のお寺に墓を改装したばか
りであった。車を使っても5分もかからない距離である。

さぞ亡妻は三人揃って墓に来てくれたことを喜んでいる
だろうと思う。

この20ヶ月毎月の月命日には必ずお布施を持参しては
墓参りを欠かさないでいた。

60歳半ばは二人してよく海外旅行をしたものだ。
主にヨーロッパが多かった。カナダには中学時代の級友
夫妻二組と三組で「ナイヤガラ」「ケベック」と楽しかっ
たと何時も家内は言っていた。

オーストラリヤやドイツ旅行を楽しんだ山梨の級友は、
「お前が誘わなかったら海外旅行など出来なかったよっと
何時も感謝される。

そう言えば、北朝鮮旅行では2回とも併せて88人の同窓
会員を連れて行ったことは大きなイベントだった。

今やれと言ってももう出来ないと思う。我ながら良く
出来たと思う。

今年の正月は何時になく家内が生きていた頃と同じように
皆が集まったことに、今年こそは又念願のフリッピン旅行
にチャレンジする積もりである。長女夫婦が「お年玉」です
と言ってくれた。

長女の息子(外孫)は今年の大学卒業祝いにピースボート
で12月28日、三月までの世界一周旅行に出発した。

今年も平穏な一年を過ごしたいと願っている。ただ足腰が
少々衰えたような気がする。少々の運動をしながら、節食
も考えながら皆なに世話をかけないようにしたいと思う!








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