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セブ島保養

セブ島案内図
旧制中学校の8年先輩先輩(90歳)がセブ島に長期滞在している。
娘さん夫婦の経営する、日本人アクアラングが目的の観光客たちが
多く集まるフイリッピンのセブ島に民宿を経営しているそうだ。

年齢が一回りほど違う大先輩は、近くに住んでいて、一昨年、奥様
を亡くされた。中学校同窓会の会長も先年、高齢の為、引退後名誉
会長で後輩と共に同窓会にも力を入れておられる。去年私も家内に
先立たれて、同境遇に年上として、後輩の私に深く同情して頂いて
いる。セブ島は住民の日本人に対する感情も良く何と言っても物価
が日本と比べて安く、しかも、気候も暖かく住み易い。お前も来ない
かと「セブ島通信」まで送ってくれる。

8年先輩の90歳の老人だが、老いを感じない。先輩の中でも2年上
の方々はもう歩けない、足腰が痛いと言って寝込んでいる人が多いと
思いますが、中には認知症の方もおられますでしょう。

090歳過ぎても尚矍鑠として人生を楽しまれることは、後輩の模範
でもあります。

フイリッピンのセブ島に行くには、なりか空港から直接、4時間半で
セブ島の「マクターン国際空港に着きます。
セブ島の通貨は「ペソ」で1ペソは日本円で2円と考えれば良いそう
です。

長期滞在で家を借りる場合は、相場として300㎡の家で月6万円位
とのことである。(凡そ3万ペソ)
大きなスーパーマーケットもあり買い物には不自由はしないそうです

なんと言ってもフイリッピンと言う国は昔からスペインやアメリカの
植民地になっていた関係もあり生活方式はアメリカナイズされている
のが日本人にとっても親しみやすいと言う利点があるそうです。

今年2010年の半ば過ぎに一度セブ島に行って見たいと思っている

まして敬愛する大先輩が先に長期で滞在しているのでこの機会を得て
先ずは一週間の予定でこれから企画したいと思っている。

学徒出陣の兄が昭和19年10月18日、フイリッピンコレヒドール
沖でアメリカの潜水艦の魚雷攻撃で、輸送船もろとも1,500人の
日本軍兵士と海底に沈んだ。
平成22年3月3日、厚生省の慰霊訪問団募集に応募したが既に〆切
となっていた。

長女夫婦が1月31日のセブ島ツアーの航空券を買ったので「セブ島」
に行っていらっしゃいと言ってくれるので、意を決して行こうかと
思い切ったところだ。

兄の慰霊祭はこの次にする積もりである。


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今日は亡妻の誕生日

今日は亡き妻の誕生日であった。生きていれば今日で満80歳となる。
今日本の女性の平均寿命は満86歳余だそうだ。脳内出血で突然の死は
用意が無いので、倒れた時はなすことを出来なかった。
しかし、倒れた妻を、静かに階段の壇を枕に寝かせて、頭を抱きながら
どうしたら良いだろうかという事を考えた、暫く寝かせて直ぐ電話を取り
119番に電話っした。係りが出て、どうしました?実は家内が急に倒れて
今寝かせてあります。 119お所はどちらですか? ○○町○番地の××です
ハイ分かりました。近くの救急車が10分くらいで参ります。

倒れた瞬間はまだ意識はあり、「手摺がない」と小さな言葉で目が閉じだした。
4,5年前にも「脳梗塞」で倒れたことがあり、その時も同様な階段の下で
あった。その時はやはり救急車で国立病院に駆け込んだが一週間くらいで退院
の運びとなった経緯があった。

今回は隣町のSと言う病院に救急車は運んでくれたがそれでも2,3時間位は
かかったかもしれない。運ぶ途中救急車に同乗して、携帯電話で三人の娘達に
連絡をした。
病院に着くや直ぐCTに入れ、三人の娘達が来た時には集中治療室に運ばれて
全く意識が無い状態であった。
丹東の医者に呼ばれて状況を説明された。「頭の中は充血で真っ白になっている」
との宣告だった。医者の説明では仮に命が持っても恐らく植物人間状態になります」
とのご託宣。
へ生20年4月24日(日)の午前であった。

三人の娘達は母親である妻の意識の無い顔を見ながら手足や身体を毎日タオルで
綺麗に拭く日課となった。私も病院の完全看護治療に何も出来ないが、バスで
駅に行き、電車で二駅の駅前から病院まで又バスで焼く一時間かかるところを毎日
顔を見て手、足をさするだけのことで行くだけであったが出来れば奇跡が起こって
生き返ってくれないかと祈りばかりであった。

4月21日午前3時頃、病院の当直看護婦さんから、どうも死にそうですとの
電話で起こされ、急ぎ娘の運転する車で病院に急いだ。
妻はもう域が切れていたように見えた。4時23分ご臨終です。と当直医者が
脈を診ながら合掌して去って行った。
それから看護婦達の指示で手際良く病院から遺体を我が家に連れ戻し畳の部屋に
安置した。直ぐに葬式の手筈を係りが来てこれも手際よく奨めてくれた。

仏壇のある部屋に安置した妻の遺体を見ながら、一人泣けてくるのが悲しかった。
55年間の生活を共に苦労して、三人の娘を育て、結婚を終らせて、二人で海外
旅行をしたものだ。最初はフランス、スイス、イギリス、ベルギー、フインランド
スエーデン、オーストラリヤ、中国、韓国、ドイツと平成6年から12年ま毎年
よくいたものだ。
平成16年に、住んでいた家屋を倒し、シングルアパート8戸を建て、営業用の
倉庫を理ホームして平成16年から、そこへ移住した。
狭いながらも二人の楽しい生活であった。
妻の幼少時代の従兄弟達との会合を静岡伊東海岸で集まったのは平成19年8月で
あった。その後地区の旅行会で長野県は諏訪地方と松代方面をバス旅行した後に、
簡保の沖縄旅行が無料であったのが最後であった。何時ものことだが、海外、国内
いずれも旅行に出かける時は10日も前からそわそわして興奮状隊に入るのが常で
あった。それほど旅行が好きであったことは確かだった。

15年も前に中国の東北地方(旧満州)旅行では、成田から大連へ、大連の空港に
着くと丹東市人民政府の迎えのベンツが待っていてくれた。丹東までは360km
の距離(東京~仙台)で途中、いろいろと中国ならではの町や人、文化を見ること
が出来た。北朝鮮との国境の鴨緑江では遊覧船で北朝鮮の岸辺10㍍位に近づいた

カナダ旅行では中学時代の級友二組の3組の夫婦で旅行は本当に楽しかった。
イタリヤではポンペイの、フイレンツエ、ローマの遺跡などは忘れ得ない。

実は妻の母親も同じように「脳内出血」で倒れ。何時も家内は血統だから若しもの
時は延命治療をしないで欲しいと娘達に言い残していた。

我が家の墓は遠く多摩地区にあるが、娘達の希望も入れ、何時でも墓参りが出来る
ように近くのお寺を探していたが幸い、家から車で5分くらいのところのお寺の
お墓を買うことが出来て、多摩地区の墓を改葬して妻の四十九日忌の納骨に間に
逢うことが出来た。毎月の月命日には墓参りが出来る。

妻が死ぬ数ヶ月前から二人で近くのお寺を探してはいたが、結局なくなった後に
お寺を決めたが、家内は知っていて反対は無かった。

家内が死んで早や20ヶ月を過ぎたが、この年末になって家内がいたらなあと
思い出させる。まして今日が彼女の誕生日だからかもしれない。




新型インフラのお陰で

新型インフレのお陰で今年は毎年の風邪引を引かなくて
医者要らずだ。例年紀行の変わり目に風邪を引くことが
苦しい鼻詰まりを起こして病院に通うことになる。

どうも私の場合アレルギー性の風邪らしい。孫の薬の中
に「アゼプト」「クラリス」とか言うアレルギー用の薬
が私には効能があるらしい。

5,6年前から毎年風邪の場合は、近所の耳鼻科病院に
行き薬の塗布とアレルギー対策用の薬を一週間分貰って
風邪の兆候がある時に服用する。多くは鼻風邪が多いよ
うでこの耳鼻科から貰った薬が特効薬である。一週間分
を貰ってくるのだが、2,3ヶ月ほどは医者要らずだ。

前立腺肥大症の予防薬として「泌尿器科」から貰う薬は
毎回90日分指定薬局で買ってくるがこれも間を抜いて
飲むことに医者はそれで良いと言ってくれた。

高潔降下剤は高140~80位に落着くと飲まないで、
良かろうと間を開けて飲むことにしている。

脊椎菅狭窄症で医者に貰った薬はあの痛さが不思議に、
取れたことを思うと、なまずにおられない。
けれど3階の内、毎日三回のところを二回にしてズル
している。ま死ぬほどのことでは無いので容赦して下
さいと心の中で独り言。

脊椎菅狭窄症の場合はあまりの痛さに整形外科病院に
行ったが、薬を飲みだしてこれも一週間ほど経ってから
痛さが徐々に緩んで来た。それでも痛いことが逢えば
これおwの見なさいと「ロキソニン」を飲むと痛さは
とまる。





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