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北朝鮮カラオケCD

大分、昔の話だが、ある日偶然に北朝鮮のカラオケCD
2枚が手に入った。
中々の内容で、しかも映像が鮮明で背景が懐かしい物
ばかりであった。
北朝鮮に関心のある人達や音楽に興味ある同級だった
友達にコピーして送ってあげたいと思っていた。
しかし、コピーは出来ても、オリジナルのようなCDの表面
などのシール印刷がどうやったら作れるのか皆目わから
なかった。しかし最近の北朝鮮の情景も見られる。

最近娘がプリンターの操作を教えてくれたのがきっかけと
なって、シールプリントが完全な形で作れるようになった。
作れるとなったらもうなんでもかんでも、音楽や映像を、や
たらとコピーし、CDの表面にシールプリントをしなくては、
気がすまなくなった。
朝鮮の歌謡曲は34曲、「アリラン」「トラジ」「リムジン川」
「故郷」「パンガップスムニダ」「ピョンヤンの夜明け」など
と朝鮮語の発音が聞ける。歌詞の振り付けもハングルと
カタカナで分かり易い。韓国の流行歌「釜山港に帰れ」も
収録されていた。映像の背景には金剛山や白頭山の水
の流れが清くて美しい。

早速北朝鮮カラオケ、A,Bを夫々何組もコピーしては表面の
シール印刷をやることに夢中になった。
さて満足に出来上がったカラオケCDコピーを見て、誰にでも
上げて喜んで貰うと、先ず之はと思う級友たちに送ることに
した。3人の級友に2枚セットづつで送ってみた。

一人はパッスムニダ!とお礼のメールが来たが、北朝鮮の
映像は身に合わないと言ってきた。まあそういわずに大いに
楽しんでくれと返事した。
後の二人には一週間ほど送れて一昨日送ったところ、手に
もっても扱い方が分からないから、知っている者が来たら、
操作を教えて貰って観賞したいと言ってきた。今頃大いに
観賞していることだろう。

一生懸命作ったのだから、まあ楽しんでくれと、言いたい所だ
もっとも、皆是非欲しいと言っていないのだから、恩の着せ売
りは出来ない。喜んで貰える人だけに喜んで貰えばいいのだ

残り少ない余生だから、毎日したいことをして自分自身が楽に
楽しんでいれば良いのだ。
この次の楽しみは何にしようかな?考えるだけでも楽しい毎日
を送りたい。
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宮崎家の一周忌出席

7月18日(土)午前11:00より予てから通知があった
宮崎家の菩提寺「金剛院」の一周忌法要に参席した。

朝むつ子が8;00出勤で、大泉学園駅まで西部バスで
行き、西武線の普通電車の待ち時間が思ったより時間
がかかったので予定より10分ほど遅れて椎名町着いた

お寺の門のところまでせつ子が心配して待っていてくれ
た。少し遅れたので心配してくれたのだろう?

参席者は肇君、せつ子、麻衣子、貴一、妹夫婦、本家の
長男、次男、従兄弟の大久保長男、の10名であった。

読経は一時間足らずで、終り、お墓に花と線香をあげて
近くの居酒家「瑞ほ」で食事、故人を偲んで、話が盛り
上がった。


良い食材を使った料理なので、食べ過ぎた傾向ではあ
ったが、それほど胃に凭れず、午後三時半に西武線と
西部バスで帰宅、家の前のスーパーで仏前用の「花」
を買い、夕食は抜きにして休むことに「した。

考えて見れば、路江が4月21日、あの世に逝ってから
数ヶ月で宮崎一一さんが8月12日に亡くなった。

その前、平成20年11月5日路江の弟「浩二」が長年の
患いの後息を引き取ったとき、路江は弟の死亡の知らせ
聞いて非常に落胆していたことを忘れない。
続いて兄嫁の「啓子」さんが風呂桶の中で眠ったままで
事故死してしまった。このとき路江はもう自分の番だと、
がっかりした声で嘆いていたことを思い出す。

それから5ヶ月の後、路江は階段の掃除中にそのまま
最終下段のところで「脳出血」のため倒れて、2ヶ月の
入院の後、弟、兄嫁の後を追うようにあの世に旅発って
逝った

それから宮崎のおじいちゃんが続いたのだった。路江
はこのことを知らない。
他に同級生だった大阪の首藤君も8月に死んでしまった

そこへ、2,3日前の新聞に「日本人の平均寿命は女86
才、男79歳」と発表された。
路江は平均寿命より8才若かったのだ、私は平均寿命を
もう2,5歳超えている。

今朝は宮崎肇君が来宅、会話中に頭の中が気が遠くなる
ようになって気を失うところであったが血の気が引くように
待ち直した。一時はこのまま路江の後を追うのかと一瞬、
思ったほどだった。
最近下腹が張って困る、体調も食べすぎだと悪くなってくる
食事には気をつけねばならないと思っている。

食事制限、軽い運動の継続、することが一杯ある。

別荘地

直ぐ上の姉(84歳)が救急病院に運ばれたので死にそう
だから、会いに来いと言って来たので孫と娘を連れて千葉
に行って来た。
倒れたけれども、なんでもなかったと言って孫達にご馳走
を作ってまっていた。
結局、昔(5年前)貸した金を返す方法を相談したかったの
だろう。子供もいなく、死んだときのことを考えるとさびしい
気持ちになったことと思う。出来るだけ力添えになってあげ
たいと話を良く聞いてきた。

40年程前、佐久市分譲地開発公社が別荘用に土地を売り
に出したとき、職場の友達2人とあわせて買うことにしたが
二人は中途で購入を止めたそうで仕方なく父親から東電株
を貰って161坪を買ったのだ。私も昭和50年ごろ一度見に
いた事がある。雑草が生い茂ってがけぶちだったことを思い
出す。
それから40年経ったのだが小屋を建て切れずにそのまま
放置しているので何とかして欲しいと言ってきた。

帰宅して早速インターネットで調べて見たが、グーグル地図
で見ると何軒か(40軒ほど)オレンジ色の屋根が見える。
その辺の不動産やを調べて聞いてみたが。不動産やと言う
職業についている人種はあまり性質が良くないと感じた。

そんなところが売れるわけは無いでしょうとか、価値が無い
とか全然人を食ったような返事しか出来ないのだ。

そのうちにこの別荘地を買い家を建てた人の「ブログ」を発
見した。何回も読んでみたら、姉と同じ頃、定年の頃に済む
ローンを組んで購入して、定年後数年して小屋を建てたと
ある。そして山小屋と称した家を平成3年に建築、21年の
6月に至るまでの山小屋生活を詳しく記録してあった。

私より3歳年長の方で、毎年3月終わりから4月初めに小屋
に行って冬を越した家の内外の整備を3日~1週間かけて
用意し、一先ず東京に帰り、次は5月の連休に家族を連れて
1週間、次は7月の真夏に避暑で一ヶ月滞在、改めて10月
には小屋仕舞いに一週間かけて冬の空き家を守る準備をし
て帰宅するのだそうだ。
それが毎年決まったようにスケデュールが決まり、実に参考
になった。

近所のお付き合い、別荘地内の集会、管理人のことなどと
詳しい。

姉の分譲地に関してこれからどのように進めるのが良いの
か参考になったので、よく考えてこの土地を有効にしなくて
は宝の持ち腐れと感じた。

先ずは登記の移転から始めなくてはならない。
財産委譲の専門税理士に頼んで始めたいと考えている

プラズマテレビ42インチ

何時もそうだが、Y電気量販店で液晶テレビを見ている内
についその時の気分で衝動買いをやってしまう。

5日(日)無s目や孫達と電気器具を見ているうちに思わず
「パナソニック」のリビエラプラズマTVを買ってしまった。

と言うのも先日思わぬ年金漏れの特別便で昭和20,1年
の働いていた漏れが社会保険庁からの知らせで貰えたの
だが、過去5年までのものは有効でその前の分は事項だ
そうだが何とか手当てとしてお小遣い程度のお金が送金
されてきたのだ。

だkらというわけでもないが思わず我が身にとっては大金
のプラズマテレビを買ってしまったと言うわけである。

付き合ってくれた娘に、エコポイントの29,000点を上げる
ことにした。
6日(月曜日)テレビの取り付けに二人の派遣社員が来て
希望の場所に設置してくれた。
最近、食事が終わると、なんとなく眠気が来て、テレビの
前で横になって見ながら寝ることが多くなった。このTVも
その為の、必需品である。孫達のために「ブルーレイ」の
DVDもあわせて購入、暇に任せてCDプリントも娘に教えて
貰い1歩全身したと思っている。

今日は暮らす通信の手紙16通を認めた。パソコンで写真
を2枚づつ計32枚プリント、結構今日は昼寝もせず忙しい
思いであった。

CD盤の表にプリンターでシールプリントすることを覚えて、
充実した一日であった。

旧制中学校の同窓会の同期生は現在、20名、と6名が
会費を納めきれない除籍された者も各地で元気に暮らし
ている。特に身体の不調の者は1,2名、あとは高齢に
なってはいるが元気な様子である。82歳前後の老人達
である。
通信は元気な証拠だ。病気になると通信も出来なくなる
旧制中学校入学式55名
昭和15年新義州中学校入学記念写真

先輩の海外保養

郵便受けに外国からの「AIR MAIL」が入っていた
差出人を見ると、深く尊敬している8年上の先輩
からだった。そう言えば、2ヶ月位前ごろから娘
さんの旦那がフイリッピンでアクアラング遊泳の
日本人観光客のための民宿を経営されていると
聞いていて、先年奥様を亡くなされて、娘さんと
同じ家の上下に住んでいたのだが、娘さんが、
定年前に仕事を退職されてその民宿を経営されて
いる旦那様の民宿にフイリッピンはセブ島に三ヶ月
ほど、保養がてらに来ないかと言われてやっとその
気になられたらしい。筆まめな方で、手紙にはフイリ
ッピンに来た経緯を詳しく書かれていた。

もう何度もそのフイリッピンはセブ島に行かれている
ので手紙にもその航路などわかりやすく書かれて
いた。

成田からセブ島まで4時間半、マクーターン国際空港
に着き、不動産屋が貸家に案内、300平方メートルの
鉄筋の家を紹介されて、家賃は5万ペソ(日本円では
10万円)管理費500ペソ、2か月分の敷金、3か月分
の前家賃、だったそうだ。

現在は鳥インフルエンザで観光客が極端に少ないそう
だ。この辺の葬式に出会い、火葬、土葬ではなく遺体を
コンクリート製の棺桶に入れ、モルタルで塗り込めてか
ら地中に埋めるのが慣わしだそうである。所変われば
品変わるのたとえ通りの風だそうだ。

サンタンダーの海を眺めながらのんびりしていると、垢
が抜けそうだと書いてあった。

フイリッピンといえば、昭和18年、学徒出陣で陸軍に
入った兄が、静岡は磐田の連隊で訓練の後、輸送船
で門司港を出船、マニラ湾でアメリカの魚雷で沈没して
海底の藻屑となって64年になる。
沈没船の慰霊祭を厚生省で昔は良くやっていたが最近
はどうしているのかなあ。両親もとうとう兄のことを諦めて
何も言わなくなってそのままになってしまったが、この辺
で兄のため供養にマニラ湾に行って見たいと思っている

その脚で、先輩の保養先を尋ねてみたいとも考えている。

学徒出陣の頃


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